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田中英道「聖徳太子と蘇我氏問題、再考 〜聖徳太子薨去1400年シンポジウム〜」日本国史学会 令和4年4月23日 日本経済大学神戸三宮(2022/04/23)

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  • Published on May 26, 2022
  • 田中英道「聖徳太子と蘇我氏問題、再考」
    ~聖徳太子薨去1400年シンポジウムより~
    令和4年4月23日 日本経済大学 神戸三宮キャンパス
    kokushigaku.com/symposium-2022...
    ◇主催:日本国史学会
    kokushigaku.com
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    ◇田中英道ホームページ | 「美の探究者、歴史と思想を語る」
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Comments • 62

  • ニャンともYouTube
    ニャンともYouTube 2 months ago +6

    先生の講義を勉強できることに感謝します。

  • 内外相応。
    内外相応。 6 months ago +19

    いやあ、今回は一気観でした。
    どこかに必ずや真実性の殊に高い箇所があるに違いないからだと思います。
    これからもご教導宜しくお願い致します!

  • かまくらm
    かまくらm 6 months ago +17

    何故??か削除された前々回の講演会、、、不可解でしたね。田中先生のスリリングな探求にワクワクします。

  • おりひめ
    おりひめ 3 months ago +4

    無宗教は昔は叩かれましたが高齢者になり喜ばしい事を先生のお話しをお伺いし再認識しております。
    有り難うございます。先生のお話しを日本中に覚醒される事を望んでおります。

  • おりひめ
    おりひめ 2 months ago +5

    鹿島は、日が昇る処で有り鹿島から鹿児島へのお話し文字を観ますと児童の児を使ってますね!ですから鹿島の次で有る事ですね!
    驚きで有り先生のお話しは興味深く拝聴しております。有り難うございます。

  • k.k.
    k.k. 6 months ago +5

    聖徳太子がなぜ厩戸皇子と言われるのかずっと不思議に思って答えを探していましたが、私は川崎真治先生の説明で納得しましたし真実だと思っています。多くの疑問を解くことが出来ました。

  • centre 423
    centre 423 6 months ago +7

    石井公成先生の聖徳太子本を読んだら、すっきりした。牽強付会の論理もなく、聖徳太子の本来の姿が見えてくる。

  • じふもんぽん
    じふもんぽん 6 months ago +29

    高校がキリスト教で、毎朝礼拝、週イチで聖書の時間がありました。知れば知るほどキリスト教徒にはなれないと実感しました☺

    • おりひめ
      おりひめ 3 months ago +4

      キリスト教は我蘇ると田中先生から教えて頂きました。裏を返すと他人も蘇る
      !蘇るから他人を殺しても蘇るから肯定的にしてるキリスト教を知り恐ろしい宗教だなぁと思いました!

    • じふもんぽん
      じふもんぽん 4 months ago +5

      @あさ さん
      聖書の教義がね。なんでもアリの、なんでも肯定(神なら正しい)みたいな矛盾をそのままにするのが納得できませんでした。賛美歌は好きでしたけどね。

    • 本質家
      本質家 5 months ago

      中世までのKリスト教は異常な行動をしていましたが、宗教改革後のKリスト教はまともな宗教ですよね?
      実はイスラム教が出来て中東は異常なKリスト教から守られましたが、1000年代にUダヤの聖地のエルサレムをKリスト教徒の血で取り戻そうとしましたよね?
      つまりKリスト教はUダヤ教のフロント宗教だった時代があって、異端審問や神を信じない人に何をやっても良いと言うのは、Uダヤの選民思想そのものだと思います。

    • あさ
      あさ 5 months ago +1

      そうなんですか!私のなかではカトリックは気持ち悪いけどプロテスタントは自由で良かったです。強制されないからかも。最近は教会は行かなくなりました。

  • 橋本猛
    橋本猛 6 months ago +14

    田中先生、貴重な講演ありがとうございます。曾我氏についての先生のご見解は更に深く検討されるべきものだと思います。しかし、縄文時代についてはもう一つの要素を考えるべきだと思います。朝鮮半島は紀元前1万年前から無人となっていて、紀元前5千年頃から縄文人が植民したことが知られています。これについて、なぜこの時期に植民が起きたのかについて九州の南にある鬼界カルデラの大噴火の影響を示唆する説が有ります。研究に依れば、同カルデラの大噴火は7300年前に起き、この噴火に起因する火砕流が九州の南側の文明を壊滅させました。人の話で申し訳ないのですが、火砕流で滅亡する前の九州南部の縄文文化は大変洗練されていて、後になってから出てきた縄文文化はむしろ退化していたという指摘が有ります。つまり、紀元前5千年前の南九州には優れた縄文文化が有ったらしいのです。そして、鬼界カルデラの大噴火によって西日本側は長期に渡って火山灰が降り注ぐ状態になっていたようです。これこそ、天の岩戸の伝説の状況ではないでしょうか。とすれば、日向の天孫族とはこの滅亡した南九州縄文文化の生き残りだったのではないかと考えられます。朝鮮半島に避難した人達が天孫降臨で南九州に戻ってきたのかも知れません。この様に考えるかどうかは別の話としても、鬼界カルデラからの大噴火の日本全体に対する影響は田中先生のご説の中でも説明されなければならないものだと思います。少しでもお考えくだされば幸いです。

    • 橋本猛
      橋本猛 5 months ago

      @本質家さま、埀仁・景行天皇の頃に邪馬台国(或いは、それまで魏や晋に朝貢していた国)は大和朝廷に吸収されたことが日本書紀に書かれています。三韓征伐は神宮皇后のときですから、既に邪馬台国はありません。

    • 本質家
      本質家 5 months ago

      @橋本猛
      後実際にはなかった邪馬台国を使ってごまかそうとしても、朝鮮半島南部の大和王権式前方後円墳を調べれば、記紀の三韓討伐が事実であると確定します。
      その場合記紀を「神話」と言って歴史を捏造してきた方達は権威を失っていくので、朝鮮半島の歴史捏造にチェックではなくチェックメイトと言う事になりますよ。

    • 本質家
      本質家 5 months ago

      @橋本猛
      日本が500年代から朝鮮半島南部の大和王権地域を失っていったのですよ?
      なんでいないも同然になるのですか?
      蘇我氏は日本を侵略しようとしたKリスト教勢力だと思いますよ。
      その裏には当然Uダヤもいたはずです。

    • 本質家
      本質家 5 months ago

      @橋本猛
      陳寿は柵封地域を朝貢していない大和王権に取られたので正当化したのです。
      宋書に書いてある記述も五胡16国時代なので大和王権が認めてもらう必要がなかったのです。
      魏から西晋に代わる段階で記紀の三韓討伐があって、朝鮮半島南部に大和王権があったからこそ前方後円墳が存在するのです。

    • 橋本猛
      橋本猛 5 months ago

      @本質家さま、居ないも同然の民族ならいなかったとしても歴史を考える上では変わりないと思います。

  • 🌸縄文神🌸
    🌸縄文神🌸 6 months ago +8

    ありがとうございます🌸

  • 西史郎
    西史郎 Month ago +1

    ありがとうございます!

  • Junco S Pollack
    Junco S Pollack Month ago

    大学院生助手のコンピューターによるパワーポイントプログラムで 先生のレクチャーを入力して、おっしゃる事をもっと画像化すれば もうちょっと迫力あるポイントによる説教となる事請け合います。画像を並べることで話が早くなります。

  • あさ
    あさ 5 months ago +1

    弟子が書いてる時点でフィクションですね!かなり盛ってますね!歴史上の偉人は。

  • karuhi
    karuhi 2 months ago +1

    聖書とカトリックと違いますが先生のキリスト観はカトリックの世界だったように見えます。ご一考を期待します。

  • karuhi
    karuhi Month ago +1

    失礼ですが先生は閉所から離れたトリックの経験岳でキリスト教をご存じのように感じられます。研究熱心な先生ですからいずれ到達されると信じます。つまり神道は一神教で有ることが繋がるときよくおっしゃる「繋がった」と心情抜きで納得されると思っています。もちろん先生の研究に感謝しながら余生を楽しみに生きている者です。

  • 鳥々薫
    鳥々薫 6 months ago +23

    「公を知らないと真の怒りは無い」 
    「キリスト教徒はみんな神を待っているだけなんです」
    「お天道様を拝むということが最も自然な信仰形態」
    感動的な凄い言葉だ。

  • alain delon
    alain delon 5 months ago +3

    蘇我氏が邸宅に火を放ったのが日本史にとっても痛い話。

    • 本質家
      本質家 5 months ago

      景教を使った日本侵略の痕跡の証拠を消す為だと思いますよ。

  • ネロは日本へ止まる

    いつも有り難うございます。
    聖徳太子を祀る斑鳩の宮(法隆寺)は斑(マダラ)の鳩と書きます。
    斑(マダラ)はキリスト教のマクダラのマリアの意味を内密に内包した名前です。
    キリスト教では不貞な女性として扱っていますが、彼女等のキリスト教が毎度ながら操作するアベコベの手法だと思います。
    明治17年に至るまで500mもの布で隠されていた久世観音像とされる像こそ本物の聖徳太子、もしくは太子の母親か妻が斑鳩つまり「怒る我」の可能性が高いのではないでしょうか。
    その証拠に、聖徳太子とその両側に立つ2人の肖像画がありますが、太子の身長が圧倒的に高く描かれています。
    夢殿に隠されてきた久世観音像は180センチあり、それを肖像画と対比させると両側の2人は120センチ程度の換算になり、これは子供の様に見える大人だとすれば、この2人の小人が太子の側近的な人物と考えられます。
    一般に知られる法隆寺の「太子が子供の時の像」は太子ではなく、この小人が成り代わった可能性が高いと思います。
    そして、夢殿の久世観音像が太子である事を裏付ける「秘密の暴露」が、この像が両手で持つ珠(玉)です。
    皇室が持つシンボルの勾玉(曲玉)ではないでしょうか。
    また、法隆寺の名前はいつ誰が付けたのかで解釈が変わりますが、ホールツと法隆寺は関連がないとは思えませんが、太子が子供の頃とされる像の顔ははたして日本人の顔でしょうか?

  • 38chikuwabu
    38chikuwabu 5 months ago +1

    先生のお話すばらしいと感じますが一つだけ、キリストは復活したが転生したわけではなく、キリスト教などの唯一神を信じる宗教はたいていの場合転生は認めておらず、土葬するのは最後の審判の日に向けていると聞きます。従って神の子であるキリストの復活はあり得るが信者の転生は認めていないはずで、神以外の存在が復活することをユダヤ教徒もキリスト教徒も肯定していないはずで、転生は認めていません。従って、蘇我が我よみがえりの意味だとしてもキリスト教徒やユダヤ教徒ではなく、その事を理由に蘇我氏がユダヤ人の子孫というのは違うと思います。

  • Junco S Pollack
    Junco S Pollack 4 months ago

    蘇我馬子が聖徳太子を仏教の聖人に仕立て上げたということですか。?

  • ロビンZ
    ロビンZ 6 months ago +8

    蘇我の馬子のお宿=厩戸。
    蘇我の馬子の子供という意味でしょ?
    厩戸豊聡耳皇子
    「兵庫県相生市小河には宇麻志神社(うましじんじゃ)という神社があり、今の祭神は宇摩志阿斯訶備比古遅神であるが、明治維新以前は「馬子宮」と呼ばれ蘇我馬子を祀っていたとされる。
    伝説によれば、蘇我馬子が相生に来て死んでしまい、その従者の将監光庵はその地名により小河を姓名とし、馬子の為に菩提を弔い、剃髪して庵を結び、光庵禅師を名乗り、子孫代々光庵を名乗ったという。」
    聖徳太子の像は怒りに満ちたお顔が多いです。
    蘇我馬子の子と孫
    蘇我蝦夷と蘇我入鹿
    胸が痛みますね。
    藤原不比等の意味は、藤原不人という「人でなし」という意味もあったのでしょう。
    万葉仮名は自由自在です。

    • ロビンZ
      ロビンZ 5 months ago

      @本質家 さま
      帰化人と渡来人の違いは、判りますか?
      日本から外に行き帰って来たのが帰化人。
      外国から来たのが渡来人。
       朝鮮半島は、日本の一部だったのよ。
      韓国政府は、前方後円墳を掘り返しては埋め戻してます。
      日本より、古いものが無いからです。
      日本の基礎を創ったのは、天武天皇で蘇我系です。
      こずるいのが、藤原不人です。
      談山神社を観れば明らか。
      入館料を取るのは、鎌足(余豊璋)ですね。

    • 本質家
      本質家 5 months ago +1

      @ロビンZ
      スサノオノミコトの直径が蘇我氏だと言える証拠はどこにありますか?
      朝鮮半島南部に大和王権と同じ前方後円墳があって、どう見ても記紀の三韓討伐が事実である事を示していますが、発掘するべきだと思いませんか?
      唐でその3つの宗教があったのは知っていますが、635年に唐で景教が布教を許されて、645年に大化の改新があるので、蘇我氏の正体に気付いて対応したと思います。
      昭和のトラストミー近衛文麿と木戸幸一は大東亜戦争に日本を引き摺りこみましたが、藤原の不比等は400年の平安時代の基礎を作った偉人だと俺は思いますよ。

    • ロビンZ
      ロビンZ 5 months ago

      @本質家 さま 
      日本が敗戦したのは、【白村江の戦】と【大東亜戦争】の二回だけです。
      これって、藤原鎌足=豊章の背乗りでしょ。
      悪逆非道の限りを尽くし、それを丸く収めたのが日本人なのよ。
      この2度の敗戦に関わるのが、人でなしとその子孫です。
      山本五十六・永野修身
      風見彰・近衛文麿
      この二組を素晴らしいと言うようなものです。
      「朝鮮,百済義慈王の子。生没年不詳。豊章とも書き,また単に豊ともいう。660年の百済滅亡後,王族の鬼室福信と僧の道琛らは周留城(錦江河口付近)を拠点に百済復興をはかり,当時日本に人質となっていた豊璋を迎えて王に立てた。多くの残存勢力がこれに呼応し,泗沘(しひ)城(扶余)などに駐屯する唐軍を包囲して唐・新羅軍を苦しめた。しかし内紛から福信は道琛を殺し,その福信も豊璋に殺され,復興軍の勢力は弱まった。豊璋は高句麗,日本に救援を求めたが,663年,唐・新羅軍の総攻撃の前に周留城は陥落し,豊璋も逃亡して百済復興運動は挫折した。」
      【白村江の戦】より
      …戦争は2日にわたって行われたが,河口の岸上に陣を張った百済軍は文武王のひきいる新羅軍に打ち破られ,日本軍は海上で蘇定方のひきいる唐軍に敗北した。このため,周留城にたてこもっていた豊璋のひきいる百済復興軍も崩壊した。この戦いは,660年,百済が唐の高宗と新羅の軍隊に滅ぼされて以後,百済復興を企図した鬼室福信,黒歯常之,僧道琛(どうちん)等が大和朝廷へ救援を求めてきたことに発端がある。

    • ロビンZ
      ロビンZ 5 months ago

      @本質家 さま
      万葉仮名を研究されては、どうですか?
      真人・間人・間男・間女。
      これらは、全て、「マヒト」です。

    • ロビンZ
      ロビンZ 5 months ago

      @本質家 さま
      スサノウの直系が蘇我氏ですね。
      鎌足は百済の王子ホウショウでしょ。
      天智天皇を祭る近江神宮は百済町にあります。
      古代から寄生するのが半島です。
       半島大陸には、日本より古い遺構は何もありません。
       それでいて、全て、日本に来て、文明と文化を伝えたと言います。
       殷周の青銅器神器は、北九州産とスプリング8で確定してます。
       鉄器を伝えたのも半島とのことですね。
      たたら跡は、日本より古いものがあるんですか。
       近衛文麿は、不比等の子孫では?
      ミトラ教と景教とキリスト教とゾロアスター教の関係は御存知ですか?
      百人一首を恋のお歌と思うのは自由ですが
      鎮魂歌集なんですよ。
      近衛文麿は、人でなしの子孫です。
      日本人が、尻拭いし、浄化してきたのです。
      遺伝子が証明しますね。

  • u2bkim
    u2bkim 5 months ago

    内容は面白そうなんだけど・・・

  • 大友悟
    大友悟 5 months ago

    録画

  • 本質家
    本質家 5 months ago +2

    この人物に説明して欲しい事は、朝鮮半島南部に大和王権と同じ方式の前方後円墳があるが、どう見ても蘇我氏の時代に朝鮮半島南部の日本勢力圏が消えています。
    考古学的な証拠として500年代半ばに吉備地方で踏鞴製鉄が始まるが、これは任那日本府がなくなったと推定される時期で、蘇我氏が外交的な権限を得て仏教を入れた時期に当たります。
    つまり蘇我氏と言うのは完全に大陸にいた景教などの勢力で、日本を侵略する為に大和王権を騙していた勢力で、大和朝廷の成立と共に排除されたと考えられるのです。
    そして蘇我氏と秦氏は自分達に都合よく律令制度を作っていたので、大化の改新後に中大兄皇子と鎌足などが適切に作り替えて、701年に大宝律令が制定されたと思われるのです。